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留学はどうレベルアップしていくべきか
試行錯誤してチャレンジする時間

チームでは外国人選手と日本人選手の橋渡し役

──今シーズンは、シーホース三河が3大会ぶりのチャンピオンシップ進出を果たしました。シェーファー選手にとって、どんなシーズンになりましたか?
個人的には怪我のリハビリから始まったシーズンなので、まずは復帰することが第一でした。幸い復帰し、再び怪我をすることなく終えることができたので、自分としては成長できたいいシーズンだったと思います。チームとしては今シーズンから新体制になり、その中でチャンピオンシップに進出できたことはすごくよかったです。それと同時に1回戦負けという悔やまれる結果ではあったので、いまから来シーズンが楽しみだなと思っています。
──お父様がアメリカのご出身ということで、幼少期から英語には触れていたそうですね。
家では日本語と英語の両方を話します。ただ、中学3年の夏まで日本の一般の学校に通っていたので、日本語が中心でした。それでも、毎年夏になると父方の実家に行っていたので、英語に触れる機会は多かったと思います。
──ご家族と話すときは日本語と英語、どちらで話すのですか?
父も日本語が話せるので、小さい頃は日本語で話していました。ただ、父としてはやはり英語の方が楽なので、いまはほとんど英語です。母も両方話せますが会話はほぼ日本語です。母は大阪出身、僕も兵庫県西宮育ちなので、くだけた話をするときは関西弁の会話になります(笑)。兄弟たちとは、日本語と英語が半々くらいですかね。
──シェーファー選手は日本語と英語のどちらが自然に話せますか?
最初に勉強したのが日本語でしたし、友人も日本人が多いので、圧倒的に日本語が楽です。ただ、バスケットボール用語はほとんど英語ですし、チームには外国人選手や外国人のコーチもいるので、コート上では自然に英語が出ていると思います。
──チーム内では外国人選手と日本人選手の橋渡し役もしているとか…。
めちゃくちゃしていますね(笑)。英語と日本語をこれだけのレベルで話せる人はほとんどいないので、コート上でもコート外でも、お互いの意思疎通ができるように通訳のような役割をしています。そこは、僕の強みの一つかなと思います。
──英会話は小さいころからできていたそうですが、読み書きはどのように学んでいきましたか?
ある程度の土台はありましたが、中学3年生の秋にインターナショナルスクールに転校した際に、家庭教師をつけて基礎から勉強しました。
──バスケットボールを始めたのもかなり遅かったそうですね。
そうなんです。それまではサッカーをやっていて、高校2年生の秋から部活で始めました。
──私も子どものころにバスケットボールをやっていましたが、あまり上手ではなかったです(笑)。個人的にはバレーボールが楽しかったのですが、ほかのスポーツに興味を持ったりしませんでしたか?
日本は一つのスポーツにこだわる傾向がありますが、アメリカではいろいろな種類のスポーツにチャレンジしますよね。そこはアメリカの好きなところで、サッカー一筋だった自分がバスケットボールを始めた理由でもあると思います。

学ぶことが楽しいそれが原動力

──バスケットボールを始めて1年後には、U18日本代表に選出。素晴らしい成長です!
U18のセレクションという形で呼んでいただき、そこから正式なメンバーになり、アジア大会やその次のU19のワールドカップに出させていただけたので、とてもいい経験をさせてもらったなと思います。自分でも言っていてめちゃくちゃだなと思うんですが、運がよかったというのがすべてです。
──選出後は代表レベルの人たちと合流することになりましたが、どんな体験でしたか?
自分はインターナショナルスクールに通っていたので、日本の学校の大会には一切参加していなかったんですね。だからお互いに、こいつ誰だって感じで(笑)。その中でも個人的に印象に残ったのが、NBAで活躍している八村塁選手。同い年なんですが、U18のキャンプで初めて会ってすごく刺激を受けました。それと同時に「あ、(自分も)意外とできるな」とも思ったんです。
──そのころには、すでにバスケの道を進んでいく気持ちになっていたのでしょうか?
いいえ、まったく。U18に初めて呼ばれたのが、バスケを始めて1年後の11月だったのですが、すでにバスケとは関係ないアメリカの一般大学に留学申請をしていたんです。でも、翌春にU18のドイツ大会に参加して世界のトップレベルの選手たちと対戦をしたときに、本気でバスケの道を目指そうと方向転換しました。留学申請を取りやめて、アメリカのプレップスクール(大学進学のための準備をする学校)に通いながら、バスケで大学からオファーをもらうために1年間しっかりアピールをすることにしたんです。
──その段階でも、まだバスケットボールを始めて2、3年ですよね。技術的な部分でもすぐに上達できたのでしょうか?
しないです(笑)。ただ、素人が学ぶ方が最初は上達が早いじゃないですか。スポンジのように吸収していって、毎日できることが増えていくから、日々成長が実感できてすごく楽しかったんです。もちろん、周りは子どものころからバスケをプレーしている人たちばかりなので、技術においては到底及びませんし、正直、現在もそこまで変わっていないかなと思います。
──そこで努力できたモチベーションはどこにあったのでしょうか?
最初はただただ楽しいという感じでした。成長することや、学ぶことが楽しくて、それが原動力になっていました。ただ、レベルの高い環境に放り込まれて、自分の成長もだんだん落ち着いてくるんですよ。そこからは家族のサポートがすごく大きかったと思います。
──プレップスクールを経て進学したジョージア工科大学では、現在NBAのフェニックス・サンズで活躍するジョシュ・オコーギー選手などの素晴らしい選手たちに出会ったそうですが、刺激を受けましたか?
選手のレベルもですが、バスケに対する取り組み方をはじめ、本当にすべてが違いました。自分は試合に出る機会が限られていたので、五輪を視野にいれて1年半で帰ってくることを決断したのですが、その中でも自分の何が通用するのか、しないのか、どうレベルアップしていくべきかとすごく試行錯誤してチャレンジができた時間だったので、とても楽しい、いい経験になりました。どちらかというと、バスケよりも勉強の方がしんどかったです(笑)。

目標や目的に向けて行動に移せる人はやっぱり強い

留学するとき大切なのは目標を持つこと

──勉学も留学の目的の一つでしたか?
もともと考えていた留学先も専門学科の学校がほとんどで、物理を学びたいというのも、ジョージア工科大学を選んだ理由の一つでした。ただ、チームの大半の選手はスポーツの活動に集中しやすい経済を専攻していて、物理専攻はバスケとの両立がなかなか大変でした。そこは、ちょっとだけ後悔しています。
──ECCで学ぶ生徒の中には留学を考えている方も多いです。留学の先輩としてのアドバイスをいただけますか?
留学はとてもいいことだと思います。SNSの発達で世界が身近にはなりましたが、実際にその場所で生活をすることでしか得られないものがやっぱりあります。その経験は、勉学のみならず、人としての成長にもとても大事なことだと思うので、ぜひ積極的に挑戦してほしいですね。そのときにぜひトライしてもらいたいのが「目標を持つこと」です。「友だち〇人作る」や「とことん楽しむ」といったものでいいんですが、必ず目標を持ってそれに向かってほしい。海外生活は必ずしもすべてが楽しいわけではなく、難しい部分もあると思います。そういうときにいかに前を向いて進んでいけるかが大切です。そのためには、目標を持つことがとても役に立つんです。
──私の場合は、幼少期に日本文化に惹かれ、日本に来ること自体が目標の一つになっていました。短期留学で一度学んだあとに、またここに戻ってきて働きたいという新しい目標が生まれ、それを原動力にやってきました。
自分の場合、留学時代は、幸いにも五輪を控えていたので、そこに向けてどうやってベストな選手になるか、どうやってメンバーに入るかを大きな目標にしていました。そこがブレなかったので、キツいときでも頑張れたんだと思います。あとは、うちの家族はとても仲がよく、お互いをすごく大事にしているんですね。留学に関しても、それより前に急に進路を変えたときも、それこそサッカーからバスケに転向したときも、いつでも快くサポートをしてくれたので、それに報いたいという気持ちで乗り越えてきました。
──昨シーズンの怪我は、これまでに経験したことのない大きなものだったとお聞きしました。その壁を乗り越えるにも、目標の設定や家族のサポートは大きかったですか?
もちろんです。まだこれからではありますが、いち早く復帰し、コンディションを上げることを目標にしてきました。ただ、今回はどちらかというと、周りのサポートがすごく大きかったですね。怪我をして最初の1カ月はまともに歩くのも難しかったのですが、その期間は一度も1人になることがなかったんです。母や父、兄弟たちが僕の家に泊まってずっとサポートをしてくれていたので、ある意味、落ち込む暇がありませんでした(笑)。今回の怪我で、改めて家族を含め周りのサポートのありがたみを感じました。
──プロバスケットボールプレーヤーとしての今後の目標は?
細かいことでいえばたくさんあるのですが、最終的にキャリアが終わるときに「いいバスケ人生だったな」と思えるようにしたいです。あとは、自分がいつまでトップレベルでプレーできるかはわかりませんが、選手でいる間は「日本で一番のビッグマン(センター)は誰だ?」と言われたときに、必ず自分の名前があがるように、頑張っていきたいです。/dd>
──最後に、ECCで学ぶ生徒のみなさんにメッセージをお願いします。
みなさんそれぞれ、いろんな理由があってECCで英語を学んでいると思いますが、すでに行動に移して勉強している時点ですごいことだと思います。自分の目標や目的に向けて行動に移せる人はやっぱり強いと思うので、これからも自信を持って頑張ってください。世界と簡単に繋がれるいまの時代だからこそ、他の言語が使えれば、いろんな世界を知ることができます。ぜひバイリンガルと呼ばれるくらいまで勉強を続けて、豊かな人生を送ってほしいなと思います。

シェーファー アヴィ幸樹

1998年生まれ。Bリーグ・シーホース三河所属。ポジションはセンター。アメリカ人の父親と日本人の母親を持つ。バスケを始めて約1 年でU18の日本代表に選出。その後アメリカのジョージア工科大学で実力を磨く。2020年からは現チームに所属し、2023-24シーズンは怪我で戦線を離れたが、中盤で復帰。来期の活躍が期待されている。

Interviewer
Victoria Del Signore
ビクトリア・デル・シグノア

ECC外語学院教務トレーナー。留学する際に目標を持つなど、シェーファー選手の考え方に共感する部分が多かったようです。

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