2019.02.15
2019.02.15
教育家として活動する、鈴木琢也さん。実は、偏差値30台の高校を卒業後、24歳の時に渡米して世界屈指の公立校・カリフォルニア大学バークレー校に入学するというユニークな経歴の持ち主です。
1986年に川崎に生まれ育ち、中学時代から髪を染めたりタバコを吸ってみたり、万引きで警察のお世話になったこともあるなど、文字通り「ヤンキー」街道を歩んでいた彼。小学生の時に仲間外れにされて友達がまったくいない時期があり、家族仲があまりよくなかったことも手伝って、居場所探しの末にたどり着いたのかもしれないと語ります。
そんな彼が変わるきっかけになったのは、奇しくも父の晴れ姿を見たことから。父親が仕事の業績を讃えられて会社から表彰されることになり、当時高校を卒業してとび職をしていた鈴木さんは、母親に無理矢理表彰式に連れて行かれました。そこで目にしたのは、情熱を持って働く大人が涙を流す姿。日々を無為に過ごしている自分の姿がふと、思い返されました。
その後、営業職に転職した先でもいきいきと働く先輩の姿に刺激を受け、大学受験を決意します。どうせならば世界レベルの大学を、と目指した大学は公立では世界一と言われる、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校。そこから彼の奮闘の日々が始まりました。1日のスケジュールを黄は勉強している時間、勉強と関係のない時間は赤、ニュース閲覧など、情報収集の時間は青に色分けして組み立てて、とにかく勉強に没頭。また、忘却曲線を意識して常に単語帳を持ち歩き、ネイティブレベルの自然な発音を身につけるために自分の声を録音して聞くことをひたすら繰り返すなど、“オレ流”のメソッドで見事狭き門をくぐるのです。
「精神論をかざして強要されることはよくないことだけれど、実際挑戦するとなれば、気合いや根性は必要になってくる」と語る鈴木さん。何かに挑戦したいという自らの情熱に裏打ちされた自然発生的な気合いや根性が、彼を世界に押し出したのかもしれません。